プロフィール

ブログネーム:大悟(ダイゴ)

ボチボチと更新中!

生年月日:1962年1月6日

出身地:青森県

身長:170cm  

血液型:B型 

家族:妻、子供2人(長男、長女)

趣味:ロードバイクでサイクリング、軽登山

性格:温厚、マイペース、好き嫌いがはっきりしている

好物:ビール、日本酒(地酒)、焼酎、エビ、ホヤ、サバ

好きな音楽:演歌とクラッシック以外なら何でも・・・。
最近は特にスピッツがお気に入り

カラオケ:浜田省吾奥田民生、川島英五、スピッツ、福山雅治

略歴

1962年1月6日 青森県弘前市にて理髪店経営の父と農家の娘の母との間に長男として誕生。

1965年:両親が離婚。母方に引き取られるが、母親は東京に出稼ぎに出たので
青森の祖父母に育てられる。

家の近くの畑で野菜を作っていたので、おやつ代わりに味噌キュウリ、トマト。

魚の行商人がよく来ていたのでナマコ、ホヤなど酒の肴を幼少の頃から食べていた。

酒が無いと生きて行けなくなったのは、そのせいかどうかは定かではない!

今では高級魚のハタハタも毎日のように食卓に上ったが、骨が多くて嫌いだった。
      
1968年:上京
母親の仕事が安定したのと小学校に上がるのを機会に、
当時、高円寺で暮らしていた母親の元に上京。
      
東北の田舎者だった私は、東京で初めて砂糖入りの玉子焼きを食べて
カルチャーショックを受ける。

青森では玉子焼きは醤油か塩での味付けだったので、
甘い玉子焼きはご飯のおかずとして許せず、
「お菓子かよ」と思わずツッコミたくなったのが鮮明に記憶に残っている。

あと、タラコは生で食べるものと思っていたので、
焼いたタラコがクラスメイトのお弁当に入っていたのもビックリだった。

小学生の頃は母と東京に職を求めて上京してきた叔母さんと3人暮らしで、
その叔母さんの影響を受けて吉田拓郎やビートルズ、カーペンターズ、
ビージーズなど、フォークから洋楽まで聴いていたマセガキだった。

5年生の時にやっと自転車を買ってもらえたのだが、
憧れのドロップハンドルのスポーツ車は
「危ないから」との理由でセミドロップのミヤタのサリー
(知っている人は少ないだろうな)に・・・。

現在、ロードバイクにハマっているのはその反動と思われる(笑)

中学に上がるとますます洋楽にのめり込み、ディープ・パープルやレッドツェッペリン、
エリック・クラプトン、イーグルス、キッス、バッドカンパニー、など王道のロックから、
イエス、ピンクフロイド、キングクリムゾンなどのプログレッシブロックにハマる。

1977年:都立の某商業高校に入学

本当は普通科の高校に進学したかったのだが、
学費の安い都立の普通科を受験するだけの頭が無く、
アマチュア無線をやっていたので工業高校でも良かったのだが
色弱では電子工学科の受験は無理とのことで、
じゃあ機械科に・・・というほど機械には当時興味が無かったために
仕方なく商業高校を受験することになる。

高校生活は全校の8割が女子という男にとってはパラダイス的な環境だったが、
現実はそんなに甘くなくモテる男は限られていて、
そのおこぼれにもあずかれないという悲しい現実に打ちのめされる事となる。

ただ、おかげで女性に対する耐性は鍛えられたようで、
初対面の女性と話すのもそんなに苦ではなくなったのが幸いか!

まあ、学年は9クラスあって、その中で男女クラスは4クラスで残りの5クラスは
女子クラスという構成で、流石に同級生でも女子クラスの生徒に用事がある時は
緊張しながらクラスを訪ねたものだ。

何せ、そこは良くも悪くも女子の花園なので・・・。

部活は硬式テニスをやってみたかったのだが軟式テニス部しか無く、
何を血迷ったかワンダーフォーゲル部に入部。

というのも、当時私はアマチュア無線にハマっていて、ワンダーフォーゲル部に入れば
高い山に登って山頂から電波を飛ばせると思ったからというのもあった。

しかし、実際には合宿ではリュックサックに無線機が入る隙間などなく、
山頂から電波を飛ばすという目的は果たせず仕舞いだった。

また、本来私の通った学校では女子が多いという事もあって宿泊での合宿は基本的に
NGなんですが、顧問の先生が校長を説得し夏の合宿として北アルプスや南アルプスなどで
2泊3日とか3泊4日の合宿を行っていました。

もちろん、当時は不純異性交遊は一切ありませんでしたが、お酒は適当に飲んでいました。

山の水で飲むウイスキーの水割りは美味かったですよ(^^;

1980年:電子専門学校に入学
商業高校を卒業するにあたって特に就職したい職業もなかった私は、
当時趣味だったアマチュア無線を活かして、無線技士になろうと電子専門学校に進学。

しかし、商業高校もやっと入学した程度の学力では勉強について行けずに、半年で自主退学。

その後は、登山用品のお店でアルバイトに明け暮れてお小遣いを稼ぐ日々を続ける。

この頃からモータースポーツにのめり込み、ラリーチームに入って車道楽を始める。

もちろん、後に給食調理員になってからもしばらく続けたのは言うまでもない。

当時乗り継いだ車は、TE27レビン、ジェミニクーペ、KP61スターレット、EP71スターレット!

これらの車の購入費から改造費用を合算すると1,000万円は下らない・・・。

今にして思えば、そのお金を投資に回しておけばFIREできていたかも・・・(笑)

1982年:給食調理員となるが、しかし・・・。
20歳の時に母親の勧めで受けた23区のうちの某区の採用試験に合格し、
学校給食調理員(要するに給食のおじさん)として勤務を開始。 

調理師という職業に全く興味はありませんでしたが、ただただ公務員であると言う事を
モチベーションに30年以上にわたって務めることに・・・。

とりあえず、大量調理の場合は細かい包丁使いとかフライパンや鍋を振るという
技術は必要なく、野菜裁断機や調理釜の扱いを覚えればなんとかなったのが救いでした。

もちろん、徐々に包丁はそれなりに使えるようになり、調理師免許も取得しました。

ただ、普段の扱う食材の量が多いので、家庭料理の分量がわかりません。

なので、結婚後に晩御飯を作ってとお願いされても、
お皿からあふれるほどのおかずを作ってしまい
怒られることもしばしば!

そんなこんなで、なんとか給食調理員としての生活を続けていたある日のこと、
区の、いや国の方針によって給食調理事業を民間に委託することを決定!

で、どうやって委託に移行するのか?というと、
いきなり首を切ることはできないので退職者不補充で
人員が不足したところから徐々に民間の人材で運営するというやり方。

結局、もともと調理が好きで始めた給食の仕事ではなかったので、
転職の打診が来たと同時に用務員に転職。

しかし、2013年にある問題をおこしてしまい、
自己都合により31年間務めた某区を退職。

1991年:結婚
職場で一緒に働いていたオバサンに色々とお世話になっているうちに、
2人いる娘さんのうち下の娘さんが高校の後輩と言うことが判明し、
ご飯をごちそうになったりと家に遊びに行くようになり姉妹と親しくなったのだが、
なぜか姉の方と結婚!

妹のほうがオッパイも大きくて魅力的だったのだが、
性格的にも血液型的にも姉のほうが相性が良かったのです。

1992年:長女誕生

1994年:長男誕生、一男一女の父となる。

2006年:女手一つで私を育て上げてくれた母が他界。

2008年:勤務する区の方針で給食調理業務の民間委託化により
給食調理員から学校用務員に転職。

2013年:自己都合により31年間務めた某区を退職。

2015年:2年間のブランクを経て某ビルメンテナンス会社の
フード事業部に再就職し、学校給食調理員のサブチーフとして勤務

2016年:春休み、夏休み、冬休みなど時給月給のため収入が不安定な事、
腰痛の悪化や職場の人間関係など様々な理由により転職を決意。

2017年:1月23日より施設警備員として別のビルメンテナンス会社に勤務開始。

施設警備員として某施設の防災センター要因として勤務するが、
人間関係でのトラブルから2018年1月に退職。

同1月中旬より新宿に本社を置く某ビル管理会社の警備部門に入社し現在に至る。

現在はネットビジネスで一発逆転を狙うべく、年収6億円の師匠の基で指導を受けながら奮闘中!

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